特別郷土資料

 熊本県公文類纂 (くまもとけんこうぶんるいさん)

熊本藩から移管された旧藩関係記録、明治5年(1872年)に白川県が作成した士族関係・職制に関する行政文書、明治6年(1873年)から昭和12年(1937年) まで熊本県(明治9年まで白川県)が作成した土地関係文書や県議会決議録、官員進退等の決裁など、県政全般の多岐にわたる行政文書と記録類。明治9年(1876年)の神風連、明治10年(1877年)の西南戦争など、全57項目に項目ごとに整理されている。このうち、陸軍省(のち内務省が所管)に提出するために明治5年(1872年)以降に全国の各郡、各町村で編纂された「郡誌」「村誌」は、関東大震災で原本が焼失しているが、この資料群の中には熊本県が調査した「郡誌」「村誌」の第一次浄書または草稿と考えられるものが残っている。明治期の行政資料がまとまった形で残っているのは全国的にも大変貴重である。

 

明治前期地図

明治5年(1872年)~明治18年(1885年) に熊本県内の各郡町村で編纂された「郡誌」「村誌」は、地誌編纂が目的であり、大まかな郡図を作成することとなっていた。しかし、明治7年(1874年)に、村図および名勝真景図まで作成を拡大。郡村図は郡村誌の付図としての正確さを期すため、明治6年(1873年)以降の地租改正に伴う地引絵図と照合したり、明治14年(1881年)9月以降は県土木課が測量。編纂は明治18年(1885年)に打ち切られたが、県下一円の郡村図が残った。

 

肥後国検地諸帳 (ひごのくにけんちしょちょう)

加藤清正が、天正17年(1589年)2月以降に太閤秀吉の命を受けて行った検地の際の検地帳を始め、徳川家康に「御前帳」として提出した慶長9年(1604年) 検地帳の写し、一国支配をするために行った慶長10年~13年(1605年~1608年)の検地帳、細川忠利が入封後に行った寛永10年~20年(1633年~1643年)の「地撫帳」、6代藩主重賢が行った宝暦5年~天明1年(1755年~1781年)の「下げ名寄帳」、7代藩主 治年が行った天明5年~8年(1785年~1788年)の「地引合見図」、10代藩主 斉護が行った天保7年~13年(1836年~1842年)の「地推下名」などの帳簿3,983冊が残っている。検地帳が江戸時代を通じて藩単位で残っているのは全国でも稀であり、熊本県指定重要文化財となっている。

 

肥後藩絵図(ひごはんえず)

熊本藩が作成した絵図のうち、熊本城と城下全体を対象にした「熊本府」絵図、城内を対象にした「熊本城」絵図、城下の各町を対象にした「城下」絵図、「熊本府」以外の武家屋敷や郡・手永を対象にした「各郡」絵図、河川管理用図面である文政6年(1823年)の「加勢川」絵図、天保7年(1836年) の「球磨川」絵図、天保6年~11年(1835年~1840年)と推定される「緑川絵図」、安政2年(1855年) の下書きがある「菊池川全図」、作成年不詳の「白川」絵図、「氷川」絵図が当館に伝わっている。また、熊本藩が幕府に提出した慶長・正保・元禄・天保の国絵図のうち、正保3年(1646年)頃の正保国絵図の写残欠2枚、慶安4年(1651年) 書写正保国絵図の写し2枚と明治3年(1870年)頃の八代郡等未記入の管内図、明治7年(1874年)白川県大区小区図が当館に伝わっている。熊本県(明治9年まで白川県)に移管された時点では527点あったが、昭和20年(1945年)の空襲で約3分の1が焼失し、肥後国以外の絵図を含めて約360点が残されている。
公益財団法人 永青文庫に分かれた熊本藩の絵図と共に熊本藩領を具体的に伝える重要な資料。

 

西南戦争関係地図(せいなんせんそうかんけいちず)

明治6年(1873年)から昭和12年(1937年)までに熊本県(明治9年まで白川県)が作成した県政全般の多岐にわたる行政文書と記録類からなる「熊本県公文類纂」全57項目のうち、明治10年(1877年)の西南戦争に関する項目の行政文書の付図。西南戦争後に建立された政府側の戦死者を埋葬した墓地の図面は、墓地の整備が完了した明治19年(1886年)に作製された。

 

相良文書(さがらもんじょ)

相良文書は昭和33年(1958年)に相良家37代当主の相良頼綱氏から県立図書館 に譲渡された人吉藩と藩主家の相良氏に係る古文書群。昭和3年~9年(1929年~1934年)に頼綱氏の指示で旧人吉藩士家の雨森眞 氏・渋谷季五郎 氏が編纂した『相良家史料』と共に保管されている。

 

 

 

家分け文書

家わけ文書とは、旧所蔵者ごとにまとめた文書群です。
以下は、図書館で所蔵している主な「家わけ文書」の一覧です。

 

文書名 説   明  (人物の敬称略)
赤星家文書 赤星家(八代郡野津手永鏡町)に伝来した資料。
近世末期から近代初頭にいたる鏡町関係の資料。
荒木家文書 荒木 精之 旧蔵。
有馬文書 有馬 源内(白嶼)及び有馬源内に関する資料。明治期のものを中心に構成。
宇土藩文書 熊本支藩・宇土藩の藩政資料を収める。覚、書簡を中心に構成。
宇野文庫 宇野 廉太郎(1869年~1960年 郷土史家)近世~近代。
江藤哲蔵関係資料 江藤 哲蔵(1872年~1919年 明治・大正時代の政治家)に宛てられた書簡。
木下家文書 木下 韡村(1805年~1867年 江戸末の儒学者、時習館訓導)資料。
栗屋家文書 栗屋家(細川藩士) 内容は栗屋家への宛行状が主。
黒田文書 黒田家(山鹿郡中村手永椎持村(現・山鹿市鹿北町)の庄屋)
藩通達の文書などが収められており、村支配の状況などを知ることができる資料。
古城家文書 古城 禎吉(1866年~1949年 漢学者)資料。狩野 直喜、鳥居 素川からの書簡。
後藤家(医)文書

後藤 宗達(熊本区・古川町(現・熊本市)の士族で医師)および後藤家に伝来した書物。

佐川家文書 篠原家(宇土藩士)の文書。資料は主に江戸時代の各種相伝・免許関係の資料。
猿木家文書

猿木家(小堀流蹈水術) 猿木 宗那(1849年~1912年)以前の幕末の小堀流図面。
当時の蹈水術を知りえる資料。

住谷家文書 住谷家(細川家臣) 内容は主に知行宛行状と所付目録。
高田家文書 高田家(細川藩士)内容は主に知行関係。
高橋家文書 高橋 長秋(1858年~1929年 財界人・県近代文化功労者)が西南戦争に参加した際、戦地より両親にあてた書簡類。
徳丸家資料 徳丸 秋因 が山鹿郡誌編纂のため調査した明治初期の山鹿郡内の資料。
富永家文書 富永 賢吾 収集。武道関係。
永田家文書

鹿子木 量平(1753年~1841年 惚庄屋・干拓事業に尽力)の筆写になる「覚」。

羽田家文書 羽田 真足(1830年~1903年 歌人)関係資料群。
真足の和歌草稿類と幕末期の政治動向を示す文書類。
林田家文書 江戸時代刊行の木版本。
福島文書

福島 太郎助(安政年間の惚庄屋) 上益城郡沼山津手永資料。

藤岡文書 矢部・清和地方の文書。
渕上家文書 渕上家(山鹿郡中村手永矢谷村の惣庄屋)資料。内容は帳簿類、西南戦争西郷軍の資料。
松浦家文書 松浦家(豊前以来の細川家臣)内容は知行宛行状が主。
松岡家文書 松岡家(宇土郡郡浦村(現・宇城市三角町郡浦)の地主)資料。
内容は、江戸期に刊行された実録『太閤真顕記』の書写をはじめ、明治以降の帳簿類、昭和期に松岡家に宛てられた書簡類。
的場家文書 的場家(細川藩)。内容は主に宛行状。
森(睦)家文書 森家(御所浦村の庄屋)資料。
内容は百姓からの願書、村内のもめごとについての願書等。
柳井文庫 柳井家収集文書や詩書。内容は江戸後期の熊本関係。
米田家文書 内容は、幕末~明治頃の資料。
渡辺家文書 渡邊 寛太 が文化10(1813)年頃に誌した資料で、甲佐町や緑川の治水を知る資料。