私がその講座に参加したのは、定年退職を目前にし、無趣味なクソ真面目サラリーマンおっさんのまま人生を終えることに少しばかりの寂しさを感じていたからだった。
『ショートショートの書き方講座』
講師は若いころ好んで読んだSF作家で、話を聞くだけで浮かれた私は決めてしまった。
書こう。経験はないが、読書はそれなりにしてきたつもりだ。原稿用紙6枚を一か月と定めた。何事も納期は重要だ。
ところが書き始めることすらできない。思いつくネタは夢オチやら虫になった男やら、講義でのNG例そのものだ。講師のニヤニヤ顔が目に浮かぶ。考えすぎて頭痛はするわ仕事は手につかないわで、自己嫌悪すら覚えてきた。そのくせに長年のサラリーマン生活で身に着けた生真面目さはリタイアを許さない。
私はついに神頼みに走っていた。生まれて初めて会社をサボり、近所の小さな神社で5円玉を賽銭箱に入れて柏手を打った。
神様どうか私にショートショートのひらめきを。どうか。神様。神様。神様……。
「すまんが、のう」
ぎょっとして私は頭を上げ、のけぞった。あやうく石段から踵を踏み外しそうになる。目の前5センチのところに白いすだれがあったからだ。長い白髪で水垢離をする人みたいな薄い白い着物を着た痩せた老人が私と賽銭箱の間に立っていた。すだれと思ったのは長い眉毛で、顔の半分、頬までが隠れている。
「すまんが、のう、わしには無理なんでのう」
「え、え、えっと、神主さん……」
ではなさそうだ。雰囲気が質素すぎる。
「いやいや、わしはここの主でのぅ。いわゆる神様じゃ」
「おお、私の願いを叶えるために出てきてくださったのですか」
「こんな小さな神社には誰も来んから昼寝しておったら、コロンと賽銭の音がしてね」
せめて50円にすればよかったか。
「しょーとしょーととか言っておったな。残念ながらわしの専門外じゃ」
「えーっ、でも神様ですよね」
「わしは『目』の神じゃ。ものもらいとかなら直してやるがの。ああ無いか。昔は村人たちから頼られておったのじゃが」
確かに各神社で安産、勝負事、恋愛成就、様々なご利益があると聞くけれど、気にしたことはなかった。専門があったのか。がっかりした私を哀れんだのか、目の神様は言った。
「じゃがの、真摯な思いは伝わったぞ。わしは神だから、お前さんがまじめ一筋に生きてきたもわかる。しょーとしょーとの才能は無理だが、ネタを探せる大きな目を与えようぞ。
かぁぁぁぁぁぁっ」
垂れ下がっていた眉がぐんと立ち上がり、こぶしのように大きな目が現れ、光った。
私は目の神に貰ったぱっちりとした大きな目でネタを見つけるべく周りを見渡しながら歩いた。
とんとんと肩を叩かれ振り返った。大きな鼻をぽりぽりしている白い着物の老人がいた。
「さっき目乃くんから連絡があってな、ほどなく稀に見るまじめ男がやってくる……」
私は生まれて初めて自分の人生を誇りに思った。
「力になってやって欲しい……だそうだ」
おお!ショートショートの神か。
「いやあ、わしは鼻の神でなぁ」
木々や雑草に埋もれているが確かにここは神社だ。
「目乃くんの頼みだ。ネタになりそうなものを嗅ぎつける嗅覚を持つ高い鼻を授けよう」
理解ができないままその神社を離れた。歩き疲れた頃、また肩を叩かれた。
「目乃くんと鼻乃くんから……ネタ探しで駆け回れる長い脚を授けよう」
「遠くまで見渡せるよう高い身長を」
「素早くタイプできるしなやかな指を」
「ネタを得るためのコミュニケーションに欠かせない笑顔を」
いただいたものはどれもありがたかったが、ショートショートを書く直接の能力ではなかった。そんなの当たり前か。私は落胆しつつも反省していた。
いつしか会社近くの繁華街まで歩いていた。出社しろということか。平日だというのに若者たちで賑わっている。ため息が出た。
とんとん。もういいですと断ろうと振り返る。そこにいたのは、サングラスをかけた、いかにも……な男だった。
「ねえキミ、芸能界に興味ない?」
私は大きな目、高い鼻、すらりとした長身と長い手足、優雅な指先、華やかな笑顔、そう神々というプロ集団の手による一流の見た目を手に入れていた。
スポットライトと黄色い歓声を浴び、美少年たちと共に歌って踊る日々。あの地味なおじさん生活は何だったのだろう。私の名前を貼り付けたモールで飾られた団扇の波に手を振り、曲の間奏中に、飛んだ。バク宙。黄色い歓声。大きな歓声。いや、悲鳴? 手を着く。ん? ぐにゃり。首が変だ。床が近い。ゴン。白い世界。
白い部屋。全身をギプスで固定されていた。そりゃそうだ。見目麗しいとはいえ、中身は定年間際のおじさんの肉体。バク宙なんてできっこない。当面寝たきり生活だ。無趣味で生きてきたことを後悔した。いや、こんなに時間を貰えたのは人生初めてだ。ありがたい。
そうだショートショートでも書いてみるか。今度こそかけそうな気がする。
終
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